こんにちは
砂むし温泉に行った話の続きです。
砂楽から出た後、50分ほどバスに乗り、知覧特攻平和会館に行きました。
この燈巃は
大東亜戦争末期 沖縄の空に散った
若い特攻勇士の霊を慰めるため
全国各地の陸軍少年飛行兵出身者
並びに ご遺族 教官等の浄財に
より 建立されたものであります昭和六十二年一月
全国陸軍少年飛行兵会
鹿児島県陸軍少年飛行兵会
知覧
薩摩の涯の山の中の静かな町。
と号(特攻)要員とよばれた若者や少年たちが、青春の最後の幾日かを過した町。
祖国の難に一命を捧げた隊員たちの特攻機が、二百五十キロの爆弾を抱えてよろけるように飛び立っていった町。(以下略)
全文写したかったんですが、途中から読めませんでした。
入館して真っ先に目に入ったのは『知覧鎮魂の賦』という絵。
(このページの上から二番目の写真です)
遺品室を回っている時に思ったこと。
特攻隊員が書いたという遺筆の中に「必殺」と書かれた半紙(?)がありました。一瞬、バトルアニメでよく出る「必殺」技を連想しました。でも、そういう事じゃないか。何でそんな当たり前のことに気づけないんだぁ?!
私と同い年の特攻隊員の名前が数人ありました。
終戦35年後に引き揚げられた「海軍零式艦上戦闘機」が展示されていました。
すごく大きかったです。当たり前か、人が1人乗っていたから。
この機体にはどんな方が乗っていたんだろう?学生さん?既婚者?
と、まあ。どこかフワフワしたような、現実感のないまま回っていました。なんて薄情なんだ ヨヨヨ
おまけ
知覧から中央駅に帰る時、鹿児島交通のバスに乗りました。1時間以上掛かったことについては触れないでおこう。
びっくりしたことがあります。
乗車する時に整理券を取り、そこに書かれた数字が乗車したバス停。どこから乗ったかによって、料金が変わる、という。電車みたいなシステム。