こんにちは
現在、コツコツ買い集めているアン・ブックス。
松本侑子さんの訳で『赤毛のアン』『アンの青春』『アンの愛情』をほぼ同時に購入。『風柳荘のアン』『アンの夢の家』『炉辺荘のアン』は1年に一冊、出版されるので、その時に買いました。
『 赤毛のアン』『アンの青春』『アンの愛情』『風柳荘のアン』『アンの夢の家』『炉辺荘のアン』
来月『虹の谷のアン』が発売されるので、楽しみです。
さて、今回考えてみるのは、「明日」
「明日」とは、『風柳荘のアン』に登場する「小さなエリザベス」が待ち望んでいるもの。
風柳荘とは、今作でアンが下宿している家。
小さなエリザベスは、そのお隣さんの孫娘。裕福だけど、愛情を注がれずに育った8歳の女の子です。
そんな小さなエリザベスが夢見続けているのが、「明日が来ること」
「明日」ってなんだ?
定義的には、
今日の次の日。
(by.goo辞書)
うん、知ってた。
原語で読んだら分かるのかもしれないけど……。「明日」と訳したのには必ず意味があるはずだから、日本語脳で頑張ろう。
明日、明日…。
そう言えば、「明日やる」は、「もうやらない」とほぼ同義語だって聞いたことがあるんですよ。
なぜなら、「今日」やりたくないから「明日」にする理由じゃないですか。でも、明日になった頃には、もう「明日」じゃなくて今日。今日はやりたくないんだから、やるかい!だからダイエットは捗らない。つまり、「明日」は来ないようなもの。
じゃあ、エリザベスが待っている「明日」は…。雲を掴むことを、夢見るようなものか?
だとしたら……切ないし、可哀そう。希望の欠片のようなものがあるとしたら、「雲はあるから、いつかは雲に触れることが出来る」ということくらいか。
少なくとも、エリザベスは、小さかったころの私みたいにヤンチャではなかっただろうな。小さい頃なんか跳ね回る黒歴史メーカーだったし、団子虫やら蝶々やら捕獲し放題だったもんな。